2012年09月14日

引用です。長文

「自分は駄目な人間だと思いますか?」の質問に対して、「そう思う」と答えた中学生は、中国が11、1%、アメリカが、14、2%だったのに対して、日本は56%でした。

もちろん国民性の違いや文化のちがいもあります。しかし、それにしても、日本の子どもたちの自己肯定感の低さは深刻です。

子供が幸せに育つために、いちばん大切なこと

たとえお金や学歴がなくても、「自己肯定感」があれば、幸せを感じることができます。

人間が生きていくときに、いちばん大切なのは、自己肯定感(自己評価)です。自己肯定感とは、「自分は大切な人間だ」、「自分は生きている価値がある」、「自分は必要な人間だ」という気持ちをいいます。

どんなに勉強ができても、お金を持っていても、いい会社に勤めていても、自己肯定感が低いと、苦しい人生になります。たとえお金持ちでなくても、学歴がなくても、自己肯定感の高い人は、幸せを感じることができます。

子供が求めているのも、大人が求めているのも、お年寄りが求めているものも、これひとつです。

この、何より大切な自己肯定感が、今の日本の子供たちは、決して高くない事が、色んな統計で明らかになっています。

人から、社会から、必要とされていると思えない子どもが、どうして、意欲を持って勉強に取り組んだり、積極的に社会にルールを守ったりできるでしょう。

「自分なんか、生きている価値ない」としか思えない子どもが、どうして自分の人生を主体的に、前向きに生きて行く事ができるでしょう。

すべての土台は、自己肯定感なのです。


「自分の良いところも、悪いところも、みんな受けいれられ、愛されている」

これ1つ伝われば、子どもは輝きます。

若い女性が求める、理想の男性像は、「自分の事を受け止めてくれる人」だそうです。

自分の気持ちを分かってくれる人、自分のいいところも悪いところも全部受け入れて、愛してくれる人、ということだと思いますが、こういったことを求めているのは、実は、若い女性だけではなく、どんな人も同じではないかと思います。

そして、この「自分の気持ちを分かってもらえる(認めてもらえる)」「自分のいいところも悪いところも、全部受け入れて愛してくれる」というのが、まさに自己肯定感がいかに重要か、わかっていただけるのではないでしょうか。
喜びも悲しみも、共感してくれる
自分の気持ちをわかってもらえる、というのは、いわゆる「共感」です。悲しい時には、一緒に悲しんでくれる。うれしいときには、一緒に喜ぶ。そういうときに、子どもは、自分の気持ちをわかってもらえた、と思います。そして、愛されている、と幸せを感じます。

「共感」は、自己肯定感が育まれるために、最も有効な関わりの1つです。

子どもが失敗して落ち込んでいる時、「そんなことで落ち込むな!」と叱咤されることも、時には必要かもしれません。しかし、それよりも「つらかったね」「ショックだったね」と、ただ、つらい気持ちをわかってもらえるだけで、気持ちが癒され、立ち直れることの方が多いのです。

頑張ってうまくいったとき、
「やったね!」「スゴいじゃん!」と、一緒に喜んでくれること。それは喜びが大きくなり、よーし、もっとがんばろう、という意欲も湧いてくると思います。

子どもを,ほめて伸ばすというと,ほめることが,子どもを伸ばす手段みたいですが、大切なことは、子どもの気持ちに共感すること。

喜びも悲しみも、ともにする中で、こどもは、自分が大切にされていると感じ、そこから、前向きに生きていこうという意欲も出てくるのではないかと思います。


良いところも悪いところも
ひっくるめて
受け入れる。

これがいかに安心感になり、自信になるかは、逆のことを考えていただければわかると思います。

家族から、良いところは認められるけど、悪いところは拒否される。よい行為を重ねると加点対象、家族として存在を承認される。一方で悪いところが重なると減点対象。
ある水準値より下回ると、家族から排除されて追放される。


こういう関係は、資格や免許の世界ではありえても、家族ではあり得ません。どうしてでしょうか。それは、家族というのは、良いところも悪いところも含めて、受け入れあう、そして支えあう、そういうものだからです。

ところが、今の子どもたちは、「自分のいいところも悪いところも、ひっくるめて受け入れられて肯定されている」と思えない子どもたちが増えています。叱られることで、あたかも,どんどんマイナスが膨らみ『追放されるんじゃないか』という不安に結びついているかのようです。


「そんな悪いところも受け入れていたら、社会で通用しなくなるじゃないですか。社会はそんなに甘くないでしょう」と言う人もあると思います。


しかし、自分のことを考えてください。会社で叱られて、「こんな事が続いたら、おまえはクビだぞ!」と言われて、落ち込んで家に帰ってきた。ところが家では、みんな自分の帰りを待っていてくれている。


変わらず自分に接してくれる。こんな自分でも受け入れてくれている。そう思って初めて、気持ち癒され、明日も頑張ろう、と思えるのではないでしょうか。

大人も子どもも同じだと思うのです。

能力への自信より、存在への自信
よく、「子どもに自信をつけさせるには?」とか、「うちの子は自信がなくて...」といいます。

確かに自信を持つことは大事なことです。しかし、この自信といっても、2段階ある、ということが意外にも知られていません。

第1段階は、存在への自信です。つまり、自分はここにいていいんだ、ありのままで、存在価値があるんだ、自分は、いらない人間なんかじゃないんだ、という気持ちです。


所謂、自己肯定感です。これは、何によって作られるかというと、親や周囲の人が、自分の存在を喜んでくれることから、育まれる気持ちです。


第2段階は、能力の自信です。これは、周囲の人から、認められたり、ほめられたりすることによって、育まれます。

ひとくちに自信というと、能力への自身の方を話題にしがちです。しかし、優先的に大切な自信は、存在への自信です。

能力への自信は、努力によってつける反面、いろいろな状況で失う事もあります。勉強で失敗したり、スポーツで負けたりです。

ところがそこで、「なにくそ」と思って、また立ち直ってがんばることができるか、「どうせ自分なんて」とあきらめてしまうかは、存在への自信、自己肯定感によるものです。

自己肯定感が高い子は、1つのことで失敗しても、それだけで存在価値がすべてなくなったとは思いません。別の機会には何とかなるかもしれないと思いますし、ここでダメでも、別の分野では何とかなるかもしれないと思っています。

しかし、自己肯定感が低いと、1つダメだと、やっぱり自分は何をやってもダメなんだ、自分はやっぱり存在価値がないんだと思ってしまいます。

これは、ルールを教える時でも同じです。悪い事を悪いと注意したときに、自己肯定感の高い子は、「自分のために叱ってくれたんだ」と思うことができます。

しかし、自己肯定感の低い子は、「やっぱり自分は、人を怒らせるだけの、ダメな人間なんだ」と思い、ヤケになり注意がしっかり入りません。

ですから、その子の勉強やスポーツなどの能力を育てるときにも、しつけやルールを教えるときにも、土台となるのが、自己肯定感、存在への自信なんです。


「ありがとう」は、最高のほめ言葉です

最も簡単で、最も有効なほめ言葉は、「ありがとう」です。

「ありがとう」という言葉は、お礼と言う言葉であると同時に、最高のほめ言葉なのです。

私達が、人から「ありがとう」と言われると、どうして嬉しいのか、というと、何かお礼を言ってくれたから嬉しい、というよりも、自分のやったことが人の役に立てた、自分の存在に意味があった、と思えるから嬉しいのです。


Posted by 松田直道 at 20:38│Comments(0)
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